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映画「太陽を盗んだ男」「青春の殺人者」で知られる映画監督・長谷川和彦さんが、2026年1月31日に80歳で亡くなりました。
長谷川和彦が昨日1月31日に誤嚥性肺炎による多臓器不全のため東京都の病院で死去したと共同通信が報じた。80歳だった。
引用元: 長谷川和彦が多臓器不全のため80歳で死去、「青春の殺人者」「太陽を盗んだ男」を監督(映画ナタリー)
詳しい情報は以下をご覧ください。
長谷川和彦の死因と訃報の詳細
誤嚥性肺炎による多臓器不全で80歳で死去
映画監督の長谷川和彦さんが2026年1月31日午後、東京都内の病院で亡くなりました。
死因は誤嚥性肺炎による多臓器不全と報じられています。
享年80歳でした。
長谷川さんは1946年1月5日生まれの広島県出身で、愛称は「ゴジ」として映画関係者に親しまれていました。
映画「太陽を盗んだ男」で知られる映画監督の長谷川和彦さんが1月31日午後、誤嚥性肺炎による多臓器不全のため東京都の病院で死去した。80歳。広島県出身。
引用元: 映画監督の長谷川和彦さんが死去 広島県出身 「太陽を盗んだ男」で知られる(中国新聞)
葬儀は近親者で実施 お別れの会を後日開催
葬儀は近親者のみで行われる予定です。
喪主は、長年のパートナーである俳優の室井滋さんが務めます。
胎内被曝者として「生き急いだ」人生
長谷川さんには、創作の根底に流れる壮絶な原体験がありました。
1945年8月、母親が原爆投下2日後に広島市に入り放射線を浴びたことで、胎内5ヵ月だった長谷川さんは胎内被曝者となったのです。
4歳からABCC(現・放射線影響研究所)で定期検診を受け続け、「被曝2世の自分は早死にする」と感じていたことが、人生を生き急ぐ原因になったとインタビューで語っています。
この動画では「太陽を盗んだ男」の映画解説を紹介しています。
長谷川さんのような稀有な人生を歩んだ映画人の訃報は、知れば知るほど深い感慨を覚えますね。
たった2作で「伝説の映画監督」になった理由
「青春の殺人者」でデビュー即キネ旬1位の衝撃
長谷川さんは東京大学在学中に今村昌平監督の今村プロダクションに入り、大学を中退して映画の道へ進みました。
助監督として経験を積みながら、脚本家としても「青春の蹉跌」「宵待草」などを手がけ、その才能は早くから注目されていました。
そして1976年、中上健次原作の「蛇淫」を映画化した「青春の殺人者」で監督デビューを果たし、いきなりキネマ旬報ベスト・テン1位を獲得したのです。
水谷豊さん、原田美枝子さんが出演したこの作品は、新人監督の第1作がベスト・ワンになるという異例の快挙でした。
「太陽を盗んだ男」は1970年代日本映画の頂点
1979年に公開された監督2作目「太陽を盗んだ男」は、さらに大きな話題を呼びました。
冴えない中学校の理科教師が原爆を自作して政府を脅迫するという大胆なストーリーで、CGなしの迫力あるカーアクションや、ゲリラ的なロケーション撮影が話題になりました。
後にキネマ旬報が選ぶ「1970年代日本映画ベスト・テン」の第1位に輝いており、日本映画史上のベストテンにも名を連ねる不朽の名作として評価されています。
この動画では映画「太陽を盗んだ男」の内容紹介を解説しています。
47年間「3作目」が実現しなかったのはなぜ?
これほどの評価を得ながら、長谷川さんは「太陽を盗んだ男」以降、新たな監督作を世に出すことはありませんでした。
その理由について、長谷川さん自身が語ったところでは、「太陽を盗んだ男」の撮影で親しかった後輩の助監督が映画界から去ったことに深い衝撃を受けたことが大きかったそうです。
「自分は本当に撮りたい映画以外は撮る資格がない」と考えるようになり、依頼された企画を見送るうちに、どんどんハードルが上がってしまったのだといいます。
自身は、待望されながらも半世紀近くにわたり監督作を発表できず、「伝説の映画監督」と呼ばれた。
引用元: “幻の監督”長谷川和彦さん逝く 80歳(デイリースポーツ)
1982年には相米慎二さんや黒沢清さんら若手監督を集めた「ディレクターズ・カンパニー」を設立し、プロデューサーとして裏方に回りました。
しかし2015年にはキネマ旬報で「新作プロジェクト」の企画アイデア募集が告知されるなど、最後まで映画への情熱は失われていなかったのです。
ここまで読んだ方なら、長谷川和彦という映画人がいかに特別な存在だったか、お分かりいただけたのではないでしょうか。
俳優・室井滋が語っていた「30年超の事実婚」
1988年に出会い室井滋からアプローチ
長谷川さんと室井滋さんの出会いは1988年、テレビでの共演がきっかけでした。
室井滋さんの方からアプローチして交際に発展したと言われています。
当時、室井さんは28歳で女優として注目を集めていた時期であり、長谷川さんは40代の映画監督でした。
映画に対する情熱が人一倍強く、破天荒でありながらも芯の通った人柄に、室井さんは惹かれたのかもしれません。
「入籍しない理由」を室井滋本人が語っていた
2人は30年以上にわたり事実婚の関係を続けていました。
2019年放送の「ダウンタウンなう」(フジテレビ)に出演した際、室井さんは入籍しない理由についてこう語っています。
子供ができていたら結婚を考えたでしょうね。でも、残念ながらできなかった。そうなると籍を入れる必要は全然ないわけ
引用元: 室井滋 伝説監督との事実婚生活、本誌にも告白「彼はお父さん」(女性自身)
また長谷川さんについて「本当にまじめで、とても勉強家」と評し、映画への真摯な姿勢を尊敬していたことが伝わってきます。
喪主は室井滋 「お父さんのような存在」だった
今回の訃報では、喪主をパートナーの室井滋さんが務めることが発表されました。
室井さんは長谷川さんについて「どういう存在かといえば、やっぱり家族です」と語り、12歳年上の長谷川さんを「旦那というよりお父さんかな」と表現していました。
迷ったときに意見を聞くと的確な答えが返ってきたこと、一緒にいてくれることで安心できたこと。
30年以上寄り添ったパートナーとの別れは、室井さんにとって計り知れないものがあるでしょう。
この動画では「太陽を盗んだ男」に対する海外の反応を紹介しています。
まとめ
映画監督・長谷川和彦さんが2026年1月31日、80歳で亡くなりました。
たった2本の監督作「青春の殺人者」と「太陽を盗んだ男」で日本映画史に不滅の足跡を残し、「伝説の映画監督」と呼ばれ続けた長谷川さん。
胎内被曝者としての壮絶な原体験、映画への尽きることのない情熱、そして室井滋さんと30年以上にわたり支え合ったパートナーシップ。
心よりご冥福をお祈りいたします。


喪主は、30年以上にわたり事実婚のパートナーだった俳優の室井滋さんが務めることが発表されています。