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元大関・若嶋津(本名・日高六男)さんが2026年3月15日、69歳で死去したという悲報が届きました。
「南海の黒ヒョウ」の愛称で人気を誇った元大関・若嶋津の日高六男(ひだか・むつお)さんが15日午前11時34分、肺炎のため千葉県鎌ケ谷市内の病院で死去した。69歳。鹿児島県出身。
引用元: 名大関・若嶋津が69歳で死去(スポニチアネックス)
詳しい情報は以下をご覧ください。
若嶋津さん死去の詳細は?死因・死去日時・家族のコメント
死因は肺炎、昨年夏から入院生活が続いていた
若嶋津さんが亡くなったのは2026年3月15日午前11時34分のことです。
場所は千葉県鎌ケ谷市内の病院。
死因は肺炎とのことで、夫人・高田みづえさんによると昨年夏ごろから体調を崩し、同施設で入院生活を送っていたといいます。
2017年には千葉県船橋市の路上で自転車ごと倒れ頭部を強打、緊急の開頭手術を受けて一時は意識不明の重体になるという大きな事故も経験していました。
その後は厳しいリハビリを乗り越えて回復し、日本相撲協会を2023年7月に退職するまで相撲界に尽力し続けましたが、晩年は療養生活が長く続いていたようです。
葬儀・告別式については現時点で未定と伝えられています。
この動画では若嶋津さんの死去と伝説の相撲人生を伝えています。
高田みづえさん「親方、ありがとう」…41年の夫婦愛
夫人の高田みづえさんは若嶋津さんの死去にあたり、「親方には、ありがとうという気持ちです」とコメントを寄せました。
ふたりが結婚したのは1985年のこと。
同じ鹿児島県出身という縁もあり、約41年間連れ添った夫婦でした。
高田みづえさんは当時トップアイドル歌手として活躍しており、大関力士との結婚は大きな話題を呼びました。
夫人で元歌手のみづえさんによると昨年夏から体調を崩し同施設で入院。この日、家族らに見守られて天国へ旅立った。みづえ夫人は「親方には、ありがとうという気持ちです」と感謝の思いを口にした。
引用元: 名大関・若嶋津が69歳で死去(スポニチアネックス)
「ありがとう」という一言に、長年の苦労と愛情が凝縮されているような気がしますね。
長女アイリさんも見守る中、家族に囲まれた最期
若嶋津さんと高田みづえさんの間には長女・アイリさんがいます。
アイリさんはタレントとして活動しており、「アイリChannel」というYouTubeチャンネルも運営していました。
若嶋津さんは家族に囲まれながら旅立ったとのことで、最期は穏やかなものだったようです。
SNSでも若嶋津さんを悼む声が多数寄せられており、昭和の相撲ファンを中心に大きな反響を呼んでいます。
【現役時代】優勝2回の実績と横綱になれなかった理由とは
優勝2回・大関28場所の輝かしいキャリア
若嶋津さんは1957年1月12日、鹿児島県種子島生まれ。
8人きょうだいの末っ子で、本名の「六男」という名がそのまましこ名にも反映されています。
鹿児島商工高(現・樟南高)で相撲を始め、1975年春場所に二子山部屋(師匠は「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花)から初土俵を踏みました。
188センチ・125キロという当時の大関としては細めの体型ながら、左四つからの鋭い上手投げで昭和の土俵を席巻した力士でした。
この動画では若嶋津の名勝負と大関への道のりを詳しく振り返っています。
横綱になれなかった本当の理由は?千代の富士との因縁
1984年に優勝2回を達成した若嶋津さんには3度の横綱昇進のチャンスがありましたが、いずれも実現しませんでした。
その最大の要因として語られるのが千代の富士との相性の悪さです。
綱取り場所での取組編成で千代の富士との対戦が組まれないケースもあり、横綱の壁を越えられないまま引退の日を迎えることになりました。
2度の優勝の間に9勝6敗が挟まり連続好成績にならず、綱取り場所では取組編成で千代の富士戦が消えたことも響きました。
引用元: 若嶋津が69歳で死去、なぜ全勝優勝でも横綱になれなかったのか(リアルタイムニュースNAVI)
それでも引退時には「悔いはありません。自分なりに精いっぱい努力しました。大関にもなれたし、心はきょうの天気のように青空です」と語っており、その潔さも多くのファンの心に刻まれています。
この動画では千代の富士と若島津の伝説の対決が収録されています。
キャプテン翼「若島津くん」の名前の由来になるほどの人気
若嶋津さんの人気は相撲界の枠を超えていました。
当時大ヒット中だったサッカー漫画「キャプテン翼」のゴールキーパー・若島津健というキャラクターの名前は、まさに若嶋津さんの人気にちなんでつけられたといわれています。
また、中学時代の同級生には歌手の長渕剛がいたというエピソードも知られており、鹿児島出身のスターたちが同世代に揃っていたことも面白いですね。
精悍な顔立ちと鋭い目つきから「南海の黒ヒョウ」と呼ばれ、相撲ファン以外にも広くその名を知られた力士でした。
高田みづえとの結婚秘話と引退後の波乱の人生
「理想の女性は高田みづえ」から始まった運命の出会い
若嶋津さんと高田みづえさんの出会いには、微笑ましいエピソードがあります。
若嶋津さんがある雑誌の取材で「理想の女性は高田みづえ」と答えたのがきっかけとなり、約4年後に実際に結婚するという、まるでドラマのような展開でした。
1985年に結婚した2人はともに鹿児島県出身というつながりもあり、約41年間連れ添いました。
高田みづえさんは結婚後に歌手活動を引退し、女将として松ケ根部屋・二所ノ関部屋を支え続けました。
周りでも「憧れのカップル」として語り継がれるふたりの物語は、相撲ファンにとっても特別な記憶として残っているようです。
2017年に路上で倒れ開頭手術…厳しいリハビリを乗り越えた
引退後の若嶋津さんには、大きな試練が待ち受けていました。
2017年10月、千葉県船橋市の路上で自転車とともに倒れ、頭部を強打する事故が発生したのです。
緊急の開頭手術を受け、一時は意識不明の重体となりました。
それでも厳しいリハビリに取り組み続け、奇跡的な回復を遂げて日本相撲協会を訪れられるまでになりました。
その後は2023年7月に日本相撲協会を退職し、晩年は家族とともに静かな生活を送っていたとのことです。
現役時代の土俵での強さと同様、試練に立ち向かう姿勢もまた「南海の黒ヒョウ」の名に恥じないものでした。
松ケ根部屋・二所ノ関部屋で育てた7人の関取
引退後の若嶋津さんは松ケ根部屋を設立し、後進の育成にも力を注ぎました。
その後「二所ノ関」を襲名し、部屋を改称。
元小結・松鳳山をはじめとする7人の関取を育て上げた名伯楽としての顔も持っていました。
若嶋津さんが相撲界に残した足跡は、力士としてだけでなく指導者としても大きなものがありました。
「知らないと損する情報なので、ぜひ確認しておきましょう」と言いたいところですが、若嶋津さんの現役時代の映像は今でもYouTubeなどで多数残っていますので、昭和の大相撲に興味を持った方はぜひチェックしてみてください。
まとめ
元大関・若嶋津(日高六男)さんが2026年3月15日、69歳で死去しました。
「南海の黒ヒョウ」の愛称で昭和の相撲ファンを熱狂させた名力士の訃報に、多くの方が哀悼の意を表しています。
若嶋津さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


昨年夏から体調を崩し入院生活を続けていたとのことで、ファンにとっては突然の訃報ともいえる知らせです。
妻・高田みづえさんや家族に見守られながらの最期だったと伝えられています。