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【訃報】東京太さん肺がんで死去 82歳 ゆめ子さんの元へ…夫婦で歩んだ漫才人生とは

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この記事で分かること

◆ 東京太さんの死因・享年・最後の高座の詳細

◆ 60年超におよぶ漫才人生の全経歴

◆ 妻ゆめ子さんとの夫婦漫才の絆と追悼の声

漫才師・東京太さんが2026年2月2日、肺がんのため82歳で亡くなったことが分かりました。

落語芸術協会が2月12日に発表しました。

昨年2025年6月には妻であり相方でもある東ゆめ子さんが心不全で逝去しており、わずか8ヶ月の間に夫婦が相次いで旅立つかたちとなりました。

令和8年2月2日(月)午後6時30分、当協会所属の漫才師 東京太(本名:菅谷利雄 すがや としお)が肺癌のため逝去しました。享年84

引用元: 東京太さん、肺がんで死去 82歳 昨年6月に妻のゆめ子さんも逝去(ORICON NEWS)

詳しい情報は以下をご覧ください。

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東京太さんの死因と訃報の詳細は?

結論・・・死因は肺がん、2026年2月2日午後6時30分に逝去(享年84)

死因は肺がん…2026年2月2日に82歳で逝去

東京太(あずま きょうた)さんの死因は肺がんです。

本名は菅谷利雄(すがや としお)さん。

2026年2月2日(月)午後6時30分に亡くなり、享年84でした。

葬儀・告別式は近親者のみで執り行われたとのことです。

なお、年齢表記について「82歳」と「享年84」の両方が報じられていますが、これは享年が数え年で計算されるためです。

落語芸術協会が2月12日に発表した追悼全文

所属先の落語芸術協会は2月12日、公式サイトで東京太さんの逝去を発表しました。

当協会においても、参与として長きにわたり指導役をつとめ、後進の育成にも尽力。舞台上での温かな笑いや穏やかな人柄、生涯を通じて芸に真摯に向き合う姿は、仲間内にも愛され厚く尊敬をされていました。昨年のゆめ子先生に続き、京太先生まで旅立たれてしまったことは深い喪失感に包まれ、悔やんでも悔やみきれません。

引用元: 東京太さん死去 82歳 東京漫才界の発展に寄与(サンケイスポーツ)

「悔やんでも悔やみきれません」という言葉に、協会としての深い悲しみがにじんでいます。

最後の高座は2025年11月15日 東洋館「漫才大行進」

東京太さんの最後の舞台出演は、2025年(令和7年)11月15日、東京・東洋館での「漫才大行進」でした。

2025年6月に妻ゆめ子さんを亡くした後も、ピンの漫談で高座に上がり続けていました。

生涯現役を貫いた姿勢は、まさに芸人の鑑と言えるのではないでしょうか。

東洋館は浅草にある演芸場で、青空球児・好児、おぼん・こぼん、ナイツ、U字工事など多くの芸人が出演する「漫才大行進」の拠点です。

東京太・ゆめ子もこの舞台を長年のホームグラウンドとしていました。

この動画では東京太・ゆめ子の夫婦漫才をご覧いただけます。

動画タイトルは 夫婦漫才 東京太・ゆめ子

チャンネル名は 大塚礼

著作権: 動画アップロード者に帰属

東京太さんの経歴は?60年超の漫才人生を時系列で紹介

結論!東京漫才の御三家から夫婦漫才の大賞受賞まで、芸一筋の人生だった

【1961年】入門から「東京二・京太」時代…東京漫才の御三家へ

東京太さんは1943年7月21日、東京都台東区に生まれました。

戦中戦後の疎開により栃木県真岡市で少年期を過ごし、ここで身についた栃木弁が後の芸風の大きな武器となります。

1961年、松鶴家千代若・千代菊に入門し、芸人としての第一歩を踏み出しました。

翌年「鶴田松夫・竹夫」というコンビを結成しますが、2年で解散。

1963年からは東京二(あずま きょうじ)さんとコンビを組み「東京二・京太」として活動を開始します。

京太の栃木弁のボケと、京二の北海道弁のツッコミという組み合わせが大人気に。

ノリロー・トリロー、みつる・ひろしと並んで「東京漫才の御三家」と呼ばれ、1969年のNHK漫才コンクールでは優勝も果たしています。

こちらの動画では1974年の東京二・京太の漫才を見ることができます。

動画タイトルは 東京二 京太 漫才 あの待ちこの待ち

チャンネル名は 制服太郎

著作権: 動画アップロード者に帰属

1973年から1974年にかけてはフジテレビの時代劇「ぶらり信兵衛 道場破り」に出演するなど、テレビでも活躍の場を広げていました。

東京二・京太は1985年に解散しますが、約22年にわたる活動で東京漫才界の発展に大きく貢献しました。

【1993年】専業主婦の妻ゆめ子さんと夫婦漫才コンビ結成

東京二・京太の解散後、東京太さんは漫談や司会業、さらには競輪評論家としてピンで活動していました。

しかし漫才への思いは断ち切れなかったといいます。

1993年、妻のゆめ子さんと夫婦漫才コンビ「東京太・ゆめ子」を結成しました。

ゆめ子さんは1976年の結婚以来ずっと専業主婦だった方です。

コンビ結成のきっかけは、自宅に麻雀をしに来ていた仲間の一言だったそうです。

「奥さん、引っ張り出しなよ。絶対おもしろいよ、あの奥さん」

そして実際に初舞台でゆめ子さんはいきなりしゃべれたのだとか。

専業主婦からの転身というエピソードは、多くのファンに驚きと感動を与えました。

京太さんのボケを勢いで押し返すゆめ子さんのツッコミは、夫婦間のほのぼのさが見事に昇華された絶妙な漫才として評価されています。

【2010年】文化庁芸術祭大衆芸能部門で大賞を受賞

栃木弁を生かした温かみのある語り口と、夫婦ならではの息の合った掛け合い。

東京太・ゆめ子の芸風は寄席に欠かすことのできない存在として多くの観客に愛されました。

その集大成とも言えるのが、2010年の第65回文化庁芸術祭大衆芸能部門での大賞受賞です。

文化庁芸術祭大賞は、日本の芸術文化の振興を目的として文化庁が主催する権威ある賞です。

大衆芸能部門での大賞受賞は、東京太・ゆめ子の漫才が日本のエンターテインメント界で最高レベルの評価を受けた証と言えます。

出囃子は「東京ブギウギ」。

華やかな音楽とともに登場するおふたりの姿は、浅草東洋館の名物として親しまれていました。

妻・東ゆめ子さんとの絆…夫婦で天国へ旅立つまで

◆結論ファースト・・・ゆめ子さんの死後もひとりで高座に立ち続け、約8ヶ月後に後を追うように逝去

ゆめ子さんは2025年6月に心不全で先立つ

2025年6月16日、東ゆめ子(本名 菅谷アサエ)さんが心不全のため千葉県の自宅で亡くなりました。

81歳でした。

京太のボケを勢いで押し返すゆめ子のツッコミは、夫婦間のほのぼのさが見事に昇華され、観客にあたたかな笑いを醸し出す絶妙な漫才でした。

引用元: 【訃報】夫婦漫才コンビ・東京太さん 昨年6月には妻・ゆめ子さんが逝去(TBS NEWS DIG)

2025年6月の浅草演芸ホールの高座が「東京太・ゆめ子」としての最後の出演となりました。

ゆめ子さんについて落語芸術協会は「楽屋においても常にムードメーカーで演者仲間からも愛される存在でした。晩年も東京太・ゆめ子の漫才は常に進化を続けており、この度の急逝が惜しまれてなりません」と追悼しています。

栃木弁×夫婦の掛け合いが生んだ「温かい笑い」とは

東京太さんの最大の武器は栃木弁でした。

実は東京都台東区の生まれですが、戦時中の疎開で栃木県真岡市に移り、16歳まで同地で育ったことで自然と身についた方言です。

なまったまま世に出た最初の漫才師とも言われており、今日の方言を武器にする芸人たちの先駆け的存在でもありました。

この動画では落語芸術協会公式チャンネルによる東京太先生のしくじり噺が楽しめます。

動画タイトルは 芸協らくごまつり2021~しくじり噺(フルバージョン)・東京太先生~

チャンネル名は 公益社団法人 落語芸術協会

著作権: 動画アップロード者に帰属

ゆめ子さんとの掛け合いでは、京太さんが栃木弁でとぼけたボケをかまし、ゆめ子さんが勢いよくツッコむという構図が鉄板でした。

夫婦だからこそ成り立つ「本気のケンカに見えて実はラブラブ」な空気感が、観客にとってたまらなく心地よかったのでしょう。

「穏やかな人柄」後進育成にも尽力した東京太さんの素顔

舞台上ではとぼけたボケ役でしたが、楽屋では穏やかで面倒見の良い人柄だったそうです。

落語芸術協会では参与として長きにわたり指導役をつとめ、後進の育成にも力を注いでいました。

弟子には東京丸・京平、東京介らがおり、東京漫才の系譜をしっかりと次の世代へつないでいます。

「生涯を通じて芸に真摯に向き合う姿は、仲間内にも愛され厚く尊敬をされていました」という落語芸術協会の言葉が、東京太さんの人柄を物語っています。

また、東京都知事・東龍太郎氏から直接「東」の芸名を授かったというエピソードも残っており、芸人としての格の高さがうかがえます。

ここまで読んでくださった方は、きっと東京太さんの芸や人柄に興味を持たれたのではないでしょうか。

動画でぜひおふたりの漫才の温かさに触れてみてください。

まとめ

漫才師・東京太さんは2026年2月2日、肺がんのため82歳で逝去されました。

1961年の入門から実に60年以上、東京漫才の第一線で活躍し続けた芸人人生でした。

東京二・京太として「東京漫才の御三家」と称され、NHK漫才コンクール優勝。

妻ゆめ子さんとの夫婦漫才では2010年に文化庁芸術祭大賞を受賞。

2025年6月にゆめ子さんが先立ち、その約8ヶ月後に京太さんも後を追うように旅立ちました。

栃木弁と温かい人柄で多くの人に愛された東京太さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

こうした昭和から令和まで芸を磨き続けた方の訃報に触れると、改めて生の舞台の大切さを感じます。

浅草の東洋館や寄席に足を運べば、東京太さんが愛した演芸の世界を今も体感できます。

(落語芸術協会公式サイトより最新情報をご確認いただけます)

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