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PL学園「KK時代」を支えた名捕手・今久留主成幸さんが58歳で亡くなったことが分かりました。
西武は4日、1995年から1999年にかけて球団に選手として在籍した今久留主成幸(いまくるす・なりゆき)氏が1月29日、神奈川・川崎市内の病院にて死去したと発表した。58歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われた。
引用元: 元西武・今久留主成幸氏が58歳で死去 PL学園時代に桑田氏とバッテリー…球団発表(Full-Count)
詳しい情報は以下をご覧ください。
今久留主成幸さんが58歳で死去 西武が発表
訃報の詳細と死因について
今久留主成幸さんは2026年1月29日、神奈川県川崎市内の病院で亡くなりました。
享年58歳でした。
死因や病名については西武球団からの発表では明らかにされていません。
今久留主さんは1967年5月10日生まれで、大阪府摂津市出身。
元プロ野球選手(捕手)として横浜大洋ホエールズ(現DeNA)と西武ライオンズでプレーしました。
葬儀は近親者のみで執り行われた
葬儀はすでに近親者のみで執り行われたとのことです。
西武球団が2月4日に発表するまで、訃報は公にされていませんでした。
プロ野球界からの追悼の声
今久留主さんの訃報を受け、野球ファンからはSNS上で追悼のコメントが相次いでいます。
「KK時代を陰で支えた功労者」「桑田の女房役として甲子園優勝に貢献した名捕手」といった声が多く見られます。
同期の桑田真澄氏、清原和博氏からの公式コメントは現時点で発表されていません。
58歳という若さでの逝去に、多くの野球ファンが悲しみに包まれています。
この動画ではPL学園時代の桑田真澄氏の姿が見られます。
PL学園からプロへ!今久留主成幸さんの経歴とプロフィール
【野球エリート】小学校時代は摂津リトルで全国制覇
今久留主成幸さんは1967年5月10日、大阪府摂津市に生まれました。
小学校時代は摂津リトルに所属し、清原和博氏がいた岸和田リトルを破ってリトルリーグ全日本選手権で優勝しています。
幼少期から野球の才能を発揮し、全国レベルで活躍していました。
ちなみに実兄は日本航空高等学校石川の元野球部監督・今久留主祐成氏で、野球一家として知られています。
【1985年夏の甲子園優勝】PL学園では桑田・清原と同期に
1983年、今久留主さんはPL学園高等学校に入学しました。
同期には桑田真澄氏、清原和博氏という後の球界を代表するスター選手がいました。
今久留主氏は大阪・PL学園高で、桑田真澄、清原和博の両氏とともに「KK時代」の黄金期を支えた。3年時の1985年夏には、背番号2を背負い、エース桑田とバッテリーを組んで全国制覇を達成。
引用元: 元西武・今久留主成幸氏が58歳で死去 PL学園時代に桑田氏とバッテリー…球団発表(Yahoo!ニュース)
1985年春の選抜では控え捕手として出場し、準決勝で伊野商に敗退。
しかし同年夏の選手権では背番号2の正捕手として、桑田投手とバッテリーを組み、決勝で宇部商を下して全国制覇を果たしました。
KKコンビの陰で、チームを支える献身的なプレーが光りました。
この動画ではPL学園時代のウラ話が語られています。
【明治大学主将】島岡監督最後の主将に指名されていた
高校卒業後、今久留主さんは明治大学に進学しました。
東京六大学野球リーグでは1986年秋季リーグで優勝を経験。
1989年には野球部主将に就任し、名将・島岡吉郎監督から「最後の主将」に指名されたことでも知られています。
同年秋季リーグでは活躍を見せ、ベストナイン(捕手部門)に選出されました。
1989年ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから4位指名を受けてプロ入り。
契約金4000万円、年俸480万円(推定)でプロの世界に足を踏み入れました。
1991年9月7日の阪神戦ではプロ入り初安打となるサヨナラ安打を放つなど、記憶に残るプレーも見せています。
1995年シーズン途中に金銭トレードで西武ライオンズへ移籍し、1999年限りで現役を引退しました。
高校から続いた桑田真澄との絆
1997年 桑田の肘手術後リハビリに同行
今久留主さんと桑田真澄氏の友情を象徴するエピソードがあります。
1997年1月、肘の手術からの復活を期す桑田に請われ、オーストラリア自主トレに他球団の選手ながら同行。桑田の生きた球を一番受けてきた捕手として、桑田が当にプロで通用する球を手術後も投げられるかの判定を任される。
引用元: 今久留主成幸(Wikipedia)
1995年に右肘靭帯を断裂した桑田氏は、トミー・ジョン手術を受けて復活を目指していました。
今久留主さんは西武の選手でありながら、巨人の桑田氏のリハビリに同行するという異例の行動に出ました。
「桑田の球を一番知っている捕手」として、手術後の球がプロで通用するかを判定する大役を担ったのです。
チームの垣根を超えた友情が、桑田氏の復活を支えました。
こういった献身的な人柄が、今久留主さんの魅力だったのではないでしょうか。
2009年 信濃監督時代の「再会の始球式」
引退後、今久留主さんは2007年にBCリーグ・信濃グランセローズのゼネラルマネージャーに就任。
2009年には監督に就任しました。
同年7月12日、新潟県立野球場で開催された試合の始球式では、特別ゲストとして桑田氏が登場し、今久留主さんが捕手を務める「夢のバッテリー」が再現されました。
桑田氏は最終所属チームであるピッツバーグ・パイレーツの背番号18のユニフォームを着用。
高校時代から24年の時を経て、再びバッテリーを組む姿にファンは感動しました。
この動画では今久留主さんの監督時代の様子が収められています。
引退後は桑田氏のNPO法人でコーチに就任
今久留主さんは引退後、様々な形で野球界に貢献し続けました。
桑田氏が理事長を務めるNPO法人「アミーチ・デル・クオーレ」でコーチを務めたことからも、二人の絆の深さが伝わります。
現役時代は派手な成績ではありませんでしたが、堅実な守備と献身的な姿勢でチームを支え続けた今久留主さん。
引退後も後進の育成に尽力し、野球界の発展に貢献しました。
KK時代を陰で支えた名捕手の功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。
まとめ
PL学園「KK時代」を支えた名捕手・今久留主成幸さんが58歳で亡くなりました。
1985年夏の甲子園では桑田真澄投手とバッテリーを組み、全国制覇に貢献。
明治大学では島岡監督最後の主将を務め、プロ入り後は横浜大洋、西武でプレーしました。
派手な記録こそありませんでしたが、堅実な守備と献身的な姿勢でチームを支え続けた今久留主さん。
桑田真澄氏との40年にわたる友情は、多くの野球ファンの心に残っています。
今久留主成幸さんのご冥福を心よりお祈りいたします。


今久留主さんは1985年夏の甲子園で桑田真澄投手とバッテリーを組み全国制覇を達成した名捕手として知られています。