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鹿島建設の天野裕正社長が2026年1月23日、心不全のため74歳で死去しました。
当社の代表取締役社長 天野裕正が、2026月1月23日(金)に逝去いたしました (享年74)。天野社長は、2021年の社長就任以降、変化の激しい時代の中で、中核事業の強化と建設バリューチェーンの拡充による社業の発展を牽引し、「人」と「技術」、そして「信頼」を重視する方針と施策のもと、鹿島グループの持続的な成長の礎を築いてまいりました。
引用元: 天野裕正 代表取締役社長の逝去について(鹿島建設公式)
詳しい情報は以下をご覧ください。
天野裕正社長の訃報と死因
死去の詳細と公式発表
鹿島建設は2026年1月27日、代表取締役社長の天野裕正氏が1月23日に死去したと発表しました。
死因は心不全で、東京都港区の虎の門病院にて午前11時40分に息を引き取りました。
享年74歳でした。
大手ゼネコン、鹿島の天野裕正(あまの・ひろまさ)社長が23日午前11時40分、心不全のため東京都港区の虎の門病院で死去した。74歳。神奈川県出身。
引用元: 鹿島の天野裕正社長死去 74歳、押味会長が兼務(中日新聞)
葬儀とお別れの会の予定
葬儀は近親者のみで執り行われます。
後日、鹿島建設主催による「お別れの会」が開催される予定ですが、日時や場所などの詳細は未定となっています。
鹿島建設からの追悼コメント
鹿島建設は公式発表において、天野社長の功績を称えています。
「人」と「技術」、そして「信頼」を重視する方針のもと、鹿島グループの持続的な成長の礎を築いたと評価。
変化の激しい時代において、中核事業の強化と建設バリューチェーンの拡充を牽引したリーダーシップが讃えられました。
この動画では天野社長の軌跡が紹介されています。
天野裕正氏の経歴とキャリア
学歴と入社後の歩み
天野裕正氏は1951年9月26日、神奈川県に生まれました。
名門・開成高等学校を経て、1975年3月に早稲田大学理工学部建築学科を卒業。
1977年3月に早稲田大学大学院(建設工学専攻)を修了し、同年4月に鹿島建設へ入社しました。
入社後は横浜支店に配属され、以来一貫して建築関連の業務を担当してきました。
建築畑一筋のキャリア
天野氏は入社から47年間、建築畑一筋でキャリアを積み重ねました。
代表的な担当案件として、静岡県浜松市の複合施設「アクトシティ浜松」などの大型プロジェクトがあります。
プライベートでは藤沢周平や司馬遼太郎の作品を愛読する読書家としても知られていました。
69歳での社長就任と「王道」の評価
2021年6月、天野氏は69歳で鹿島建設の社長に就任しました。
スーパーゼネコンのトップとしては異例の高齢での就任でしたが、建築畑一筋で「王道」を歩んできた経歴が評価されての人事でした。
前任の押味至一社長(現会長)は、天野氏について「堅実で粘り強い仕事をする」と評価していました。
デジタル化や人手不足といった業界課題に対応できるリーダーとして期待され、その期待に応える実績を残しました。
天野社長の功績と実績
TSMC・ラピダス等の大型半導体工場受注
天野社長の在任中、鹿島建設は国家的プロジェクトである半導体工場の建設を相次いで受注しました。
熊本県のTSMC(台湾積体電路製造)第一工場は、日本政府が最大4,760億円を補助する大型案件です。
さらに北海道のラピダス工場など、最先端の大規模半導体生産施設の施工を2件続けて担当。
2021年の社長就任後、受注規模や売上高から採算性を重視する経営体制への転換を進めた。在任中は熊本県の台湾積体電路製造(TSMC)や北海道のラピダスといった半導体工場の大型工事を受注。利益率の改善につなげた。
引用元: 天野裕正氏が死去 鹿島社長、74歳(日本経済新聞)
エネルギー分野でも原子力発電所を含む発電施設の施工実績は国内トップクラスで、洋上風力発電の施工も他社に先駆けて経験しています。
AIデジタル技術導入と「鹿島スマート生産」
天野社長は建設現場のDX(デジタルトランスフォーメーション)を積極的に推進しました。
AI(人工知能)などのデジタル技術を工事現場に導入し、生産性向上を実現。
「鹿島スマート生産」と呼ばれる自動化施工の加速にも注力し、2024年問題(時間外労働の上限規制)への対応を進めました。
こちらの動画でも天野社長のDX推進について触れられています。
5期連続増収増益と過去最高益への道筋
天野社長の経営手腕により、鹿島建設は5期連続の増収増益を達成しました。
2025年度通期業績は連結売上高・各段階利益ともに過去最高を見込んでいました。
中期経営計画で掲げた連結当期純利益の長期目標も前倒しで達成する見通しでした。
受注規模よりも採算性を重視する経営体制への転換を進め、各工事の収益性向上につなげた手腕は高く評価されています。
業績好調の最中での急逝は、建設業界全体に衝撃を与えました。
後任・押味至一会長とは
苦学から東工大へ(映画との運命的出会い)
押味至一(おしみ よしかず)氏は1949年2月21日、神奈川県横浜市のミシン加工業者の家に生まれました。
中学校時代に父が倒れ、新聞配達や横浜港での沖仲仕のアルバイトをしながら家計を支えた苦学生でした。
最初は機械工学科に入学しましたが、学園紛争で大学が閉鎖され、船積みのバイトに明け暮れる日々が続きました。
映画館を出る時には建築をやると決意し、東京工業大学建築学科に入り直して1974年に鹿島建設へ入社しました。
「現場第一主義」を掲げた社長時代
押味氏は2015年に鹿島建設の社長に就任しました。
「現場には2人のお客様がいる。ひとりは発注者、もうひとりは協力会社の人たち」という言葉を口癖のように語り、現場を訪れるたびに作業員に頭を下げて感謝を伝える姿勢で知られています。
現場所長時代には生産性向上やコスト低減を図る斬新な施工法の開発に取り組み、「有言実行の男」として社内で知られていました。
海外事業強化と東京五輪後を見据えた手腕
押味氏は社長時代(2015-2021年)、東京オリンピック後の需要減少を見据えた経営戦略を推進しました。
海外売上高4割を目指し、アジア・米国・欧州の3極を中心にグローバル展開を強化。
日本建設業連合会副会長、海外建設協会副会長なども歴任し、業界全体のリーダーとしても活躍しています。
現在76歳の押味氏が会長と社長を兼務する体制は当面続く見通しです。
天野氏の遺志を継ぎ、鹿島グループの舵取りを担うことになります。
鹿島建設の今後と中期経営計画
中期経営計画(2024-2026)の概要
鹿島建設は2024年5月に「鹿島グループ中期経営計画(2024~2026)」を策定しています。
テーマは「中核をさらに強化し、未来を開拓する」です。
国内外の建設事業と不動産開発事業を強化するとともに、バリューチェーン拡充やR&D、イノベーション推進による新たな価値創出を目指しています。
半導体・エネルギー分野への注力
今後の成長分野として、半導体・デジタル産業とエネルギー分野が重点領域に位置づけられています。
高市政権の重点投資対象17分野にも、鹿島が貢献できる分野が多数含まれています。
海外開発事業では米国を中心に拡大を図るほか、ベトナムなど将来的な経済発展が見込まれる地域での事業強化も進めています。
会長兼社長体制の課題と展望
押味会長が社長を兼務する体制は「当面」とされており、次期社長人事が注目されています。
76歳の押味氏が両職を担う現体制は、あくまで緊急措置という見方が一般的です。
鹿島建設には創業家が経営に関与してきた歴史があり、今後の人事がどのような形になるかは業界関係者の関心事となっています。
ただし、中期経営計画の方向性は天野社長時代から継続されており、経営戦略そのものに大きな変更はないと見られています。
鹿島建設の動向は、建設・不動産業界に関心のある方にとって引き続き注目すべきポイントです。
まとめ
鹿島建設の天野裕正社長が2026年1月23日、心不全のため74歳で死去しました。
建築畑一筋47年のキャリアを持ち、2021年に69歳で社長に就任。
TSMC・ラピダスなど大型半導体工場の受注や、AIデジタル技術の導入による生産性向上を推進し、5期連続増収増益を達成しました。
建設業界のリーダーを失った衝撃は大きいものの、鹿島建設の成長路線は継続される見通しです。
今後の経営体制や次期社長人事については、引き続き注目していきたいところですね。

