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元スリーファンキーズのリーダー・長沢純さんが1月15日に脳出血のため84歳で亡くなったという訃報が飛び込んできました。
1960年代に活躍した男性アイドルコーラスグループ「スリーファンキーズ」のリーダーで、司会者、俳優でも活躍した長沢純(ながさわ・じゅん、本名長沢毅=ながさわ・つよし)さんが15日、脳出血のため死去した。84歳だった。東京都出身。21日、所属事務所が発表した。
詳しい情報は以下をご覧ください。
長沢純さん死去の経緯と死因
脳出血による突然の訃報
長沢純さんは2026年1月15日、脳出血のため84歳でこの世を去りました。
所属事務所である長沢企画が1月21日に発表し、芸能界に衝撃が走っています。
1941年6月17日生まれの長沢さんは、法政大学在学中にスリーファンキーズのリーダーとしてデビューし、日本の男性アイドルグループの先駆者として活躍しました。
突然の訃報に、昭和の芸能界を知るファンからは驚きと悲しみの声が上がっています。
亡くなる前日まで穏やかに過ごされていた
所属事務所によると、長沢さんは亡くなる前日まで体調に異変はなかったとのことです。
亡くなる前日まで体調に異変なく、普段通りの穏やかな日常を過ごしてまいりましたが、翌朝、自宅にて突然倒れ、静かに息を引き取りました。余りにも急な出来事に、遺族一同、いまだ深い悲しみの中におります
引用元: 元「スリーファンキーズ」長沢純さんが死去、84歳(スポニチ)
前日まで穏やかに過ごしていただけに、突然の別れは遺族にとっても予想外の出来事だったようです。
葬儀は近親者のみで1月18日に実施
葬儀については、故人の生前の希望により、1月18日に近親者のみで執り行われました。
昭和のアイドル文化を築いた偉大な先駆者の静かな旅立ちとなりました。
この動画では長沢純さんの75歳バースデーに仲間たちが制作したヒストリームービーを紹介しています。
スリーファンキーズは日本アイドルの先駆者だった
1960年代に誕生した伝説のコーラスグループ
スリーファンキーズは1960年代に活躍した日本の男性アイドルコーラスグループです。
愛称は「スリファン」で、代表曲には「浮気なスー(悲しき恋の物語)」「涙のムーディー・リバー」「ナカナカ見つからない」などがあります。
1961年2月にテレビデビューし、1962年1月には東芝レコードからレコードデビューを果たしています。
日本の「アイドル」文化を確立
スリーファンキーズは日本の男性アイドルグループの元祖と位置付けられる存在です。
1962年にデビューした「ジャニーズ」と共に、このジャンルの確立に多大な影響を与えました。
「ジャニーズ」は、スリーファンキーズが若い女性から「身近な男の子」として絶大な人気を集めていた事に触発され、ジャニー喜多川が少年野球チームから選抜した4人で結成したグループである
引用元: スリーファンキーズ(Wikipedia)
つまり、現在のジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)の原点とも言える存在だったのです。
こうした歴史的な功績を知ると、日本のアイドル文化がどのように形成されてきたのか、改めて考えさせられますね。
「追っかけ」「親衛隊」文化はここから始まった
スリーファンキーズのテレビデビュー時、メインの出演者のバックで身体を動かしたり口パクでステージを行っていました。
長沢純さん自身も「出演者というより見学者の気分」だったそうですが、その「身近な雰囲気」が逆に視聴者の心を掴んだのです。
現在のアイドルファンダムの原型を作ったのがスリーファンキーズだったと言っても過言ではありません。
この動画ではスリーファンキーズの代表曲「浮気なスー」を聴くことができます。
長沢純がアイドル文化と芸能界に残した功績
グループ解散後は制作会社を設立し社長に
スリーファンキーズは1966年2月に解散しました。
解散後、長沢純さんは自らが代表取締役社長を務める制作会社「株式会社長沢企画」を設立しています。
アイドルから実業家へという転身は、当時としては珍しいキャリアパスでした。
人気番組の司会者として第二の全盛期を築く
長沢純さんはグループ解散後、俳優・タレントとしても活躍しました。
特に日本テレビ「スターびっくり箱」「全日本歌謡選手権」、NHK「あなたに挑戦」などの人気長寿番組の司会を務め、お茶の間でおなじみの存在となりました。
長沢純は、アイドルグループの先駆けとして日本の音楽・芸能界に大きな足跡を残し、その後も歌手、司会者、俳優として長年にわたり活動を続け、多くの皆様に支えられてまいりました
引用元: 元「スリーファンキーズ」長沢純さんが死去、84歳(スポニチ)
アイドルから司会者への華麗な転身は、後のタレントたちにも大きな影響を与えたことでしょう。
「アイドルの先駆け」として歴史に名を刻んだ
長沢純さんが残した功績は、単にヒット曲を出したことだけではありません。
「身近な男の子」として若い女性の心を掴むというアイドルの基本スタイルを確立したのが最大の功績です。
昭和から令和へと続く日本のアイドル文化の礎を築いた偉大な先駆者でした。
こうした功績を知ると、今のアイドルシーンがどのような歴史の上に成り立っているのか、改めて感慨深いものがありますね。
この動画では1996年にスリーファンキーズ初代&2代目が約30年ぶりに集結した貴重映像を見ることができます。
まとめ
長沢純さんは日本アイドル史の原点を作った偉大な先駆者でした。
1960年代にスリーファンキーズのリーダーとして「身近な男の子」アイドルのスタイルを確立し、ジャニーズ結成にも影響を与えました。
グループ解散後は司会者・俳優・実業家として活躍し、多彩な才能を発揮しています。
心よりご冥福をお祈りいたします。


ジャニーズ事務所の「ジャニーズ」結成にも影響を与えたとされ、まさに日本アイドル史を語る上で欠かせない人物でした。