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バイオリニスト・天満敦子の経歴は?「無言館」で戦没画学生への祈りを25年続ける理由

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昭和・平成世代向けのWebメディア、LifeGoodTrend編集部です。

この記事で分かること

◆ 天満敦子の経歴・プロフィール・受賞歴

◆ 無言館で25年間コンサートを続ける理由

◆ 頸椎損傷からの壮絶な復活劇

バイオリニスト・天満敦子さんが「徹子の部屋」に出演し、頸椎損傷からの復帰と無言館への想いを語ったことが話題になっています。

天満敦子さんは1993年に「望郷のバラード」を日本に紹介し、クラシック界で異例の大ヒットを記録した世界的バイオリニストです。

1999年からは長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」で毎年無伴奏コンサートを開催し、25年以上にわたって戦争で命を落とした若い画学生たちへの祈りを捧げ続けています。

 

70歳になるバイオリニストの天満敦子さんが、1月21日午後1時放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演する。2022年に体の自由が突然利かなくなり検査入院、頸椎損傷と診断され緊急手術を受けたという。

引用元: 天満敦子:70歳のバイオリニスト 4年前に頸椎損傷で緊急手術(毎日キレイ)

詳しい情報は以下をご覧ください。

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天満敦子とは?経歴とプロフィール

結論・・・日本を代表する世界的バイオリニストです

天満敦子さんは「望郷のバラード」で知られる日本を代表するバイオリニストです。

深い情感と力強い演奏スタイルで、国内外から高い評価を受けています。

生年月日・出身地・学歴

天満敦子さんの基本プロフィールは以下のとおりです。

名前は 天満敦子(てんま あつこ)

生年月日は 1955年7月18日(70歳)

出身地は 東京都

学歴は 東京芸術大学および同大学院修了

意外なことに、ご両親は音楽とは無縁の家庭でした。

6歳のとき、木琴を楽しそうにたたく姿を見た母親がデパートで小さなバイオリンを買ってきたのが始まりだったそうです。

週1回のレッスン以外は特に練習することもなく、先生の見よう見まねで上達していったというから驚きですね。

主な受賞歴と師事した名匠たち

天満敦子さんの主な受賞歴をまとめました。

① 1974年 第43回日本音楽コンクール ヴァイオリン部門 第1位

② 1975年 ロン=ティボー国際コンクール 特別銀賞

大学在学中から華々しい成績を収めています。

師事した先生方も世界的な名匠ばかりです。

海野義雄、レオニード・コーガン、ヘルマン・クレバースといった世界的な名教師に師事し、確かな技術と音楽性を身につけました。

小学6年生のときにNHK教育テレビの「バイオリンのおけいこ」に出演し、講師の江藤俊哉に素質を認められたことが本格的に音楽を志すきっかけになったそうです。

現在の活動と肩書き

現在の天満敦子さんの主な肩書きは以下のとおりです。

東邦音楽大学大学院教授

松本市四賀音楽村村長

しおがま文化大使

教育者としても後進の指導にあたっています。

ただし、自身が苦労せずに上達した経験から「経験のないことは教えられない」として、小さな子供のレッスンは行っていないそうです。

東日本大震災後は、母親の故郷でもある福島県を中心に被災地各地での演奏活動を続け、地元の人々との絆を深めています。

こうした活動を知ると、天満敦子さんが音楽を通じて人々に寄り添い続けていることがよく分かりますね。

無言館とは?戦没画学生を祀る美術館

結論!第二次世界大戦で亡くなった画学生たちの作品を展示する慰霊美術館です

天満敦子さんが25年以上にわたってコンサートを続けている「無言館」について詳しく見ていきましょう。

長野県上田市にある慰霊美術館の概要

無言館は長野県上田市古安曽にある私設の美術館です。

所在地は 長野県上田市古安曽字山王山3462

開館は 1997年(平成9年)

開館時間は 9時〜17時

休館日は 毎週火曜日

入館料は 一般1,000円 / 高大生800円 / 小中生100円

 

無言館は窪島誠一郎氏により、信濃デッサン館の分館として平成9年に開館した美術館です。第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示しています。

引用元: 戦没画学生慰霊美術館 無言館(長野県学習旅行ナビ)

2005年には第53回菊池寛賞を受賞しています。

収蔵作品と展示内容

無言館には、戦争で命を落とした若い画学生たちの作品が数多く展示されています。

開館時の収蔵品は画学生37名、作品数約80点でしたが、その後増加し、現在では作者数108名以上、作品数600点余りを数えています。

恋人や妻、家族など親しい人を描いた作品が多く、それぞれの作品にはエピソードが添えられています。

享年はほとんどが20代で、夢半ばで命を落とした若者たちの無念が伝わってきます。

2008年には隣接地に第二展示館「傷ついた画布のドーム」がオープンし、展示スペースが拡大しました。

入り口前には「記憶のパレット」と呼ばれる黒御影石の慰霊碑もあり、パレットの形をした約23トンの石碑が訪れる人を迎えます。

館主・窪島誠一郎と設立の経緯

無言館を設立したのは、作家・美術評論家の窪島誠一郎氏です。

1977年に出版された「祈りの画集――戦没画学生の記録」という画集を偶然手にしたことが、設立のきっかけになりました。

自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回り、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を収集しました。

当初、野見山氏は否定的でしたが、窪島氏の熱意に根負けして協力を決意したそうです。

建設資金は全国からの寄付で賄われ、多くの人々の想いが込められた美術館となっています。

天満敦子が無言館で弾き続ける理由

結論=亡き父と同世代の画学生たちへの祈りを込めて演奏しています

天満敦子さんが無言館でコンサートを続ける理由には、深い想いがありました。

1999年から始まった無伴奏コンサート

天満敦子さんは1999年から毎年、無言館で無伴奏のバイオリンコンサートを開催しています。

このコンサートは「天満敦子 in 無言館」と題され、戦没画学生の絵に捧げる演奏会として知られています。

館主の窪島誠一郎氏は自らを「天満の追っかけ」と称するほどのファンで、彼の招きを受けて毎年コンサートが実現しています。

この動画では天満敦子さんの代名詞「望郷のバラード」を聴くことができます。

動画タイトルは 天満敦子ヴァイオリンコンサート 2015/ 望郷のバラード

チャンネル名は ガトーフェスタ ハラダ コンサート

著作権は 動画アップロード者に帰属

 

「亡き父と同世代の学生たち」本人が語った想い

天満敦子さんが無言館でバイオリンを弾き続ける理由について、館主の窪島誠一郎氏がCDの解説で興味深いエピソードを明かしています。

いつか天満さんに、「貴女にとっての無言館とは何か」と問うたことがある。はっきりした答えはなかったが、「ここにいる学生さんたちはみんな亡くなった父と同世代なの」と一言いった言葉が印象にある。

引用元: バイオリニスト天満敦子のプロフィール(クラシック音楽ファン)

窪島氏は続けてこう解釈しています。

おそらく天満は、画学生たちの絵に亡父の思い出をどこかで重ね合わせ、自らのストラディヴァリウスによって父と共生する時間を、いやあの時代を生きたすべての同胞と共生する時間をもちたかったのではないか、と。

天満敦子さんにとって無言館でのコンサートは、戦争で夢を断たれた若者たちと同時代を生きた亡き父への祈りの時間なのですね。

この動画ではCD「天満敦子 in 無言館」に収録された望郷のバラードを聴くことができます。

動画タイトルは 望郷のバラード

チャンネル名は 天満敦子 – Topic

著作権は 動画アップロード者に帰属

 

収益は全額寄付、2025年も継続中

天満敦子さんの無言館コンサートは、単なる演奏会ではありません。

天満敦子さんのご厚意により、コンサートの収益は全額「無言館」の運営にあてられています。

2023年9月12日まで毎年継続されており、2024年10月、2025年10月にもコンサートが開催されています。

無言館公式サイトより)

2025年のコンサートは告知後すぐに満席となり、多くのファンに愛されていることが分かりますね。

こうした活動を25年以上続けている天満敦子さんの姿勢には、頭が下がる思いです。

望郷のバラードとは?天満敦子の代名詞

結論としては・・・ルーマニアの夭折の作曲家が遺した哀愁の名曲です

天満敦子さんといえば「望郷のバラード」と言われるほど、この曲は彼女の代名詞になっています。

ルーマニアから楽譜が託された経緯とは

1992年、天満敦子さんは文化使節としてルーマニアの首都ブカレストを訪問しました。

国立フィル(ジョルジュ・エネスコ響)との共演を聴いたルーマニアの文化大臣は、こう叫んだそうです。

「ダヴィッド・オイストラフ以来の感激だ」

公務の日程を変更してまでコンサートに通い詰め、当初予定になかった晩餐会まで開いて天満敦子さんを歓迎しました。

この縁がもとで、1993年にルーマニア出身の夭折の作曲家チプリアン・ポルムベスクの遺作「望郷のバラード」の楽譜を託されることになりました。

哀愁を帯びた美しい旋律に魅せられた天満敦子さんは、日本人として初演を果たします。

クラシックで異例の10万枚ヒット

1993年に発売されたアルバム「望郷のバラード」は、クラシック界では異例の大ヒットとなりました。

累計売上は10万枚を超える大ヒットを記録

クラシックアルバムとしては驚異的な数字です。

以後、この作品は天満敦子さんの代名詞とも言われるようになりました。

2016年8月には無言館で録音したCD「天満敦子 in 無言館」を発売し、業界複数誌から特選盤の選定を受けています。

小説「百年の預言」のモデルに

天満敦子さんと「望郷のバラード」の物語は、小説のモデルにもなっています。

直木賞作家・髙樹のぶ子の小説「百年の預言」は、東欧革命前夜のルーマニアを舞台に、この曲をめぐる謎とバイオリニストの恋愛を描いた作品です。

ヒロインは天満敦子さんをモデルにしています。

実話に基づいたドラマチックな展開が話題を呼びました。

音楽だけでなく、その人生そのものが物語になるほど魅力的な演奏家なんですね。

ストラディバリウスと結婚?銀婚式の真相

◆結論ファースト・・・愛器との出会い25年を記念したコンサートでした

天満敦子さんの「夫」はなんとストラディバリウスだという話をご存知でしょうか。

愛器「ハンガリアン」との出会い

天満敦子さんは実際の人間とは結婚されていません。

彼女の「伴侶」は、1708年製のストラディバリウス「ハンガリアン」です。

1988年頃にこの名器と出会い、以来ずっと一緒に演奏活動を続けてきました。

1708年製のストラディバリウスと1955年生まれの天満さんは、約250歳差の「夫婦」ということになります。

バイオリニストにとって楽器は体の一部のような存在ですが、天満敦子さんの愛器への想いは格別なようです。

2013年には銀婚式コンサートを開催

2013年、ストラディバリウスとの出会いから25年を迎えた天満敦子さんは、驚きのコンサートを開催しました。

その名も「ストラディバリウスとの銀婚式」コンサート

「私の伴侶はこのストラディバリウス」という、天満さん流のユーモアと愛器への深い愛情表現ですね。

検索で「夫との年の差200歳」と出てくるのは、このエピソードが由来です。

「旦那さんのために」CDも録音

2016年に発売されたCD「天満敦子 in 無言館」には、特別な想いが込められています。

「”旦那さんの”ために最高の場所で録音しておきたい」という熱い思いから企画されたアルバムです。

無言館の”音響の良さ”に感激した天満敦子さん自身がキングレコードに提案して実現しました。

収録曲は「鳥の歌」「望郷のバラード」「花は咲く」など、”平和への祈り”をテーマにした楽曲が並びます。

この動画では天満敦子さんの無伴奏演奏を聴くことができます。

動画タイトルは 天満敦子 ヴァイオリンコンサート(無伴奏)2021/旅人の詩

チャンネル名は ガトーフェスタ ハラダ コンサート

著作権は 動画アップロード者に帰属

愛器への想いがここまで深いアーティストは珍しいのではないでしょうか。

病気からの壮絶な復活劇…天満敦子に何が?

先取り結論!頸椎損傷で首に12本のボルトを入れながらも復帰を果たしました

2022年、天満敦子さんの身に突然の悲劇が襲いました。

2022年に突然体が動かなくなった

年間100回以上の演奏会をこなしてきた天満敦子さんですが、2022年に異変が起きます。

突然、体の自由が利かなくなり検査入院したところ、頸椎損傷と診断されました。

緊急手術を受けることになったのです。

検査入院で数日のつもりが、思わぬ長期入院となってしまいました。

首に12本のボルト…5ヶ月の入院生活

手術後の入院生活は想像を絶するものでした。

検査入院で数日のつもりが5カ月の入院生活を強いられ、手術後は絶対安静が続き、鉛筆を持てたのは数カ月後だったという。

引用元: 70歳バイオリニスト、頸椎損傷と診断され緊急手術(マイナビニュース)

現在も首には12本のボルトが入っており、首が固定されているため演奏にも影響があるそうです。

一時は演奏家を引退することも考えたといいます。

バイオリニストにとって首の固定は致命的ともいえるハンデです。

 

復帰を決意させた「思い出の場所」

引退も頭をよぎった天満敦子さんですが、周囲の励ましと、ある想いが復帰を後押ししました。

「思い出の場所で再び弾きたい」

この想いが、天満敦子さんを再びステージへと向かわせたのです。

「思い出の場所」とは、25年以上にわたって演奏を続けてきた無言館のことではないでしょうか。

亡き父と同世代の画学生たちへの祈りを、これからも届けたいという想いが復帰の原動力になったのかもしれません。

首に12本のボルトを入れながらも演奏を続ける姿勢には、音楽への深い愛情と使命感が感じられますね。

まとめ

天満敦子さんは「望郷のバラード」で知られる世界的バイオリニストであり、無言館で25年以上にわたって戦没画学生への祈りを捧げ続けています。

2022年に頸椎損傷で緊急手術を受け、首に12本のボルトを入れながらも復帰を果たしました。

愛器ストラディバリウスとの「銀婚式」を開くほど楽器を愛し、音楽を通じて平和への祈りを届け続けています。

70歳を迎えた今も精力的に活動を続ける姿は、多くの人に勇気を与えてくれますね。

天満敦子さんのコンサート情報は無言館公式サイトで確認できます。

ここまで読んでくださった方は、ぜひ一度、天満敦子さんの演奏を聴いてみてはいかがでしょうか。

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