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「フ~ジ~ロッック!」スマイリー原島が逝去 陣内孝則の後輩からフジロックの顔へ

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この記事で分かること

◆ スマイリー原島さんが65歳で逝去した経緯

◆ アクシデンツ時代から40年以上の音楽人生

◆ フジロック公式・浜崎貴司らの追悼コメント全文

フジロックの「顔」として愛されたスマイリー原島さんが、2026年1月6日に65歳で亡くなりました。

スマイリー原島さんは1982年にロックバンド「アクシデンツ」でデビューし、その後はラジオDJ、音楽プロデューサー、そしてフジロックフェスティバルのグリーンステージMCとして40年以上にわたり日本の音楽シーンを支えてきた人物です。

2025年8月末から病気治療のため入院しており、家族に見守られながら熊本市内の病院で息を引き取りました。

2025年8月末から病気治療のため入院しておりました弊社代表スマイリー原島こと原島宏和ですが、2026年1月6日享年67、満65歳、熊本市内の病院にて家族に見守られる中、永眠いたしました

引用元: スマイリー原島さん死去 65歳 昨年8月から療養中だった(Yahoo!ニュース/オリコン)

詳しい情報は以下をご覧ください。

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スマイリー原島が65歳で死去

結論・・・2026年1月6日、熊本市内の病院で家族に見守られ永眠されました

2025年8月末から入院・病気治療中だった

スマイリー原島さんは2025年8月末から病気治療のため入院していました。

具体的な病名は公表されていませんが、約5ヶ月間の闘病生活を送っていたことになります。

入院直前の2025年夏には、いつも通りフジロックフェスティバルでグリーンステージのMCを務めていました。

昨年のフジロックが、彼の最後のステージとなってしまいました。

FLYING KIDSの浜崎貴司さんは、亡くなる前日の1月4日に病室を訪れており、緩和ケアに移ったタイミングで面会が許されたと明かしています。

【享年65歳】熊本市内の病院で1月6日逝去

スマイリー原島さんは2026年1月6日、熊本市内の病院で息を引き取りました。

享年67、満65歳でした。

本名は原島宏和(はらしま ひろかず)。

1960年9月7日に熊本県熊本市で生まれ、福岡県福岡市で育ちました。

家族に見守られながらの最期だったと報告されており、穏やかな表情だったそうです。

熊本市長の大西一史氏もお別れに訪れ、「とても穏やかなお顔でした」と振り返っています。

葬儀は近親者で執り行われた

葬儀は身近な関係者および近親者のみで執り行われました。

訃報が公表された1月12日が初七日にあたります。

所属事務所の有限会社スマイリーズは公式SNSで「原島が生前賜りましたご厚誼に対し、心からお礼申し上げます」とコメントを発表しました。

スマイリー原島さん自身が「スマイリーズ」という事務所を立ち上げ、代表として活動していました。

音楽への情熱を最後まで貫いた方でした。

この動画ではフジロック2024でのスマイリー原島さんのMCを見ることができます。

動画タイトルは 【MCスマイリー原島fujirock2024】

チャンネル名は THIS IS FUJIROCK FESTIVAL JAPAN

著作権: 動画アップロード者に帰属

アクシデンツから音楽界の顔役へ!スマイリー原島の経歴

結論!バンドマンから始まり、40年以上にわたり音楽界の「つなぎ役」として活躍しました

1982年博多でアクシデンツ結成

スマイリー原島さんの音楽人生は、1982年に博多で始まりました。

当時、日本専売公社(現・日本たばこ産業)九州支社に勤めていた原島さんは、音楽仲間に誘われてロックバンド「アクシデンツ」を結成します。

原島さんは1960年9月7日、熊本県熊本市生まれ。82年に元ザ・モッズ、ザ・ロッカーズのメンバーと共にロックバンド・アクシデンツを結成してデビュー

引用元: スマイリー原島さん、65歳で死去…昨年8月末から病気治療で入院(ENCOUNT)

1984年にメジャーデビューし、1987年の解散までに4枚のアルバムをリリース。

博多ロックシーンの一翼を担う存在でした。

陣内孝則の後輩&ロッカーズのマネージャー兼付き人だった

実はスマイリー原島さんは、俳優・陣内孝則さんの高校時代の後輩でした。

陣内孝則さんが「ザ・ロッカーズ」を結成した際、原島さんはマネージャー兼付き人を務めていたのです。

バラエティ番組『新伍&紳助のあぶない話』では、陣内さんがゲスト出演した際に原島さんも登場し、高校時代の面白エピソードを披露したことがあります。

博多ロック黄金期を支えた人脈が、後の活躍につながっていきます。

アクシデンツ解散後も「SMILEY&SMILE」「SMILEY&THE DOCTORS」「CONNECTIONS」など複数のバンドで活動を続けました。

ラジオDJ・音楽プロデューサー・イベントMCとマルチに活躍

バンド活動と並行して、スマイリー原島さんは活動の幅を広げていきます。

下北沢などで数多くの音楽イベントをプロデュースし、ラジオ番組のパーソナリティ、音楽雑誌での執筆と、まさにマルチな才能を発揮しました。

主なラジオ番組は以下の通りです。

TOKYO FM『スマイリー原島のブレイク寸前』『スマイリー原島のミュージックプラント』、KBCラジオ『スマハラ サバドゥ』、エフエム・クマモト『FMK RADIO BUSTERS』など、全国各地で番組を持っていました。

映画「ロッカーズ」の音楽プロデュースやサウンドトラックアルバムのプロデュースも手がけています。

1998年からはTOKYO FMで全国ネット番組を担当し、忌野清志郎さんとも共演するなど、日本ロック界の重鎮たちと深い交流がありました。

この動画では1991年のラジオ番組でのスマイリー原島さんを見ることができます。

動画タイトルは トロイの木馬~PANIC IN MAGAZINEのコーナー Guest:スマイリー原島 1991/7

チャンネル名は TRAVELIN’ WORD

著作権: 動画アップロード者に帰属

フジロック公式・浜崎貴司・熊本市長らの追悼コメント全文

結論=音楽関係者から続々と追悼の声が寄せられています

フジロック公式「あの掛け声をもう聞くことができない」

フジロックフェスティバルの公式SNSは、スマイリー原島さんを追悼する長文コメントを発表しました。

フジロックのグリーンステージMCを長年にわたり務めてくださったスマイリー原島さんが、逝去されました。スマイリー原島さん、フジロックのMCとして、そして最高の盛り上げ役として、本当にありがとうございました。グリーンステージで「田舎へ行こう」のSEが流れたあと、朝イチに響き渡る「フ〜ジ〜ロッック!!」というあの掛け声を、今年はもう聞くことができないのですね

引用元: スマイリー原島さん死去 65歳 昨年8月から療養中だった(Yahoo!ニュース/オリコン)

さらに「前夜祭の盆踊り大会での進行、ステージ裏でのたくさんのバカ話――もう一緒に笑えないと思うと、ただただ寂しいです」と続け、「どうか天国から、これからのフジロックを見守ってください。苗場の空から、いつでもあの掛け声をかけてください」と結んでいます。

「フ〜ジ〜ロッック!!」の掛け声は、フジロッカーにとって夏の始まりを告げる合図でした。

毎年グリーンステージの朝一番に響き渡るこの声を楽しみにしていたファンも多かったはずです。

浜崎貴司「反骨と愛情とユーモアに溢れた稀有な方」

FLYING KIDS、カーリングシトーンズの浜崎貴司さんは、亡くなる前日に病室を訪れていたことを明かしました。

浜崎さんは原島さんの手を握ったところ、眠っていた原島さんが寝返りを打ちながら手を払いのけたというエピソードを紹介。

「それは原島さんがまるで『浜崎、なんだか気恥ずかしいぞ!』と言ってるような感じでした」と振り返り、「とにかく思わぬ展開に私はなんだか、おかしくなってしまい、少し笑ってしまいました」と語っています。

「反骨と愛情とユーモアに溢れたお方でした。馬鹿みたいにロックというものに人生を捧げた、稀有な方でした」という浜崎さんの言葉が、スマイリー原島さんの人柄を物語っています。

最後にLINEでやりとりしたのは昨年10月24日だったそうです。

熊本市長・大江慎也らミュージシャンも続々追悼

熊本市の大西一史市長もSNSで追悼コメントを発表しました。

ドラム演奏が趣味の大西市長は「原島さんには本当に若い頃から大変お世話になりました。東京で数十年前に一度バックでドラムを叩かせてもらいご一緒出来たのは良い思い出です」と回顧。

「昨年ゆっくりお話しした時はお元気だったのに、早すぎます」と悔やみ、「お別れに伺いましたがとても穏やかなお顔でした。どうか安らかに」と悼んでいます。

ほかにも大江慎也(ルースターズ)、杉本恭一(元レピッシュ)、ヤマジカズヒデ(dip)、藤井一彦(グルーヴァーズ)、武藤昭平(勝手にしやがれ)、ザ・ニートビーツなど、多くのミュージシャンがSNSで追悼の言葉を寄せています。

80年代から続く日本のロックシーンで、いかに多くの人に愛されていたかがわかります。

この動画では1986年のアクシデンツのライブ映像を見ることができます。

動画タイトルは 19861028 Baby Blue キャンディホール アクシデンツ

チャンネル名は tetsukubo

著作権: 動画アップロード者に帰属

まとめ

スマイリー原島さんは、日本のロックシーンに欠かせない存在でした。

1982年のアクシデンツ結成から始まり、ラジオDJ、音楽プロデューサー、そしてフジロックの名物MCとして、40年以上にわたり音楽と人をつないできました。

陣内孝則さんの後輩として博多ロックシーンで育ち、忌野清志郎さんと共演し、フジロックでは「フ〜ジ〜ロッック!!」の掛け声で何万人もの観客を沸かせてきたスマイリー原島さん。

その人柄は「反骨と愛情とユーモアに溢れた」と評されています。

今年のフジロックは、あの掛け声なしで始まることになります。

しかし苗場の空には、きっとスマイリーさんの声が響いているはずです。

スマイリー原島さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

(音楽ナタリーより)

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